5千円札|津田梅子の経歴・留学や岩倉使節団!生涯独身を貫いた理由

 
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元銀行員・ファイナンシャルプランナーです。 好きなもの 読書/海外旅行/美術館/アート/お花/フラワー/フラワーアレンジ/フラワーボックス/フラワーキャンドル/ハーバリウム/キャンドル/アロマ/猫 ねこ

お札の肖像画が変わることになりました。

新5千円札には津田梅子が採用されることになります。

  • 津田梅子ってどんな人?
  • 津田梅子の経歴は?
  • 津田梅子が参加した岩倉使節団って何?
  • 津田梅子の留学はどんな感じだった?
  • 津田梅子が生涯独身を貫いた理由とは?

気になったので調べてみました。

それではみていきましょう。

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津田梅子が新5千円札に採用!

政府は数年後をめどに、1万円などの紙幣の肖像画を変える準備に入りました。

 

⇒⇒⇒渋沢栄一の経歴・どんな人?論語と算盤!ノーベル平和賞候補にも

⇒⇒⇒新紙幣は誰がどうやって決めるの?選び方・発効予定はいつから?

 

5万円札は津田塾大学の創始者・津田梅子が採用されることになります。

5万円札は、2004年に新渡戸稲造から樋口一葉になって以来の変更になるのです。

最新の偽造防止技術を紙幣に反映させることが目的です。

平成から令和への元号の改元に伴って、紙幣も全面的に交代することになります。

 

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津田梅子のプロフィール!

  • 名前:津田梅子(津田梅子)
  • 生年月日:1864年12月31日
  • 出身地:江戸牛込南御徒町(現在の東京都新宿区南町)
  • 出身校:ブリンマーカレッジ

 

津田塾大学の創設者で、日本の女性教育の先駆けとしても知られていますよね。

津田塾大学の公式サイトはこちら

1929年8月16日に64歳で亡くなっています。

津田梅子がモデルになった役のドラマ

  • ハイカラさん(1982年)
  • 八重の桜(2013年)
  • 花燃ゆ(2015年)
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津田梅子の経歴!

  • 1871年 岩倉使節団の一員としてアメリカへ

アメリカではワシントンDCの郊外にあるジョージタウンに住んでいたチャールズ・ランマン夫妻の家で生活し始めています。

ランマン夫妻は子供がいなかったため、津田梅子を我が子のようにかわいがっていたといわれています。

  • 1873年 自分の意思でキリスト教の洗礼を受ける
  • 1882年 日本へ帰国(11年間もアメリカで生活していました)
  • 1883年 伊藤博文に通訳や英語指導のために雇われました
  • 1885年 華族女学校で英語教師になりました

津田梅子は、日本で新しい女子教育の指導者としてやっていくには、自分が受けた教育の知識ではまだ不十分であると考えて、再びアメリカで勉強したいと考えます。

  • 1889年 女学校から研究休暇を取ることができて、再びアメリカへ
  • 1892年 3年間の留学生活の末、日本へ帰国

アメリカでは「大学に残って研究を続けなさい」と勧められていましたが、津田梅子は日本での女性教育の大切さを痛感していたため帰国したといわれています。

 

  • 1892年 再び、華族女学校に
  • 1894年 明治女学院でも講師を務めます。
  • 1898年 女子高等師範学校教授も兼任していました。
  • 1900年 女子英学塾(現在の津田塾大学)を設立し、塾長になりました。
  • 1919年 津田塾大学塾長を健康上の理由から辞任
  • 1929年 64歳で亡くなる

津田梅子は、アメリカでヘレン・ケラーを訪ねています。

そしてさらに、イギリスでフローレンス・ナイチンゲールと会見するなど、女子教育の重要性を認識していました。

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津田梅子の留学・岩倉使節団とは!

津田梅子が6歳のときに北海道開拓使が募集していたのが岩倉使節団でした。

北海道開拓使の次官の黒田清隆は女子教育に関心を持っていたとされていて、津田梅子の父がこの岩倉使節団に応募させました。

1871年に津田梅子は岩倉使節団の最初の留学生の一人として、サンフランシスコを経てワシントンに到着しています。

この時の女子留学生は全部で5人でしたが、津田梅子が最年少で、英語の単語を2、3語知っている程度であったといわれています。

アメリカの留学時代には、数学、物理学、天文学、ラテン語、フランス語などさまざまな学問を学んでいます。

津田梅子は、11年もの長きにわたって、アメリカで生活することになります。

津田梅子は、幼少からのアメリカ生活の影響で、日本語が通訳が必要なほどになってしまって、日本の風習にも不慣れであったといわれています。

 

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津田梅子が生涯独身を貫いた理由!

津田梅子は1882年に日本へ帰国しています。

アメリカでせっかく身に付けた学問や見識や・生活習慣について、当時の日本では女性が生かせる場所はありませんでした。

そのため、津田梅子は、日本の結婚観に嫌気がさして生涯独身を貫く決心をしています。

縁談の話は数多くあったのですが、津田梅子は「二度と結婚の話はしないでください。結婚の話を聞くだけでも嫌だ!」と言っています。

結婚してしまうと日本の古い体質に染まってしまって、せっかくアメリカで身に付けてきたものが無駄になってしまうと思ったのでしょうね。

日本に結婚観に辟易してしまったのですね。

 

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