ヤマザキマリ経歴すごい!家族・14歳年下夫・14歳海外一人旅の真相!

 
この記事を書いている人 - WRITER -
元銀行員・ファイナンシャルプランナーです。 好きなもの 読書/海外旅行/美術館/アート/お花/フラワー/フラワーアレンジ/フラワーボックス/フラワーキャンドル/ハーバリウム/キャンドル/アロマ/猫 ねこ

漫画家のヤマザキマリさん。テルマエ・ロマエの原作者として有名ですよね。

「サワコの朝」にご出演されていました。

14歳でヨーロッパへ一人旅に行ったり、すごすぎる経歴で、波瀾万丈の人生を送ってこられています。

そして、14歳年下の旦那さんとはどんな馴れ初めでご結婚されたのでしょうか。

テルマエ・ロマエはどうやって誕生したのでしょうか。

ヤマザキマリさんの人生について、とても気になりますよね。

ではみていきましょう。

スポンサーリンク

ヤマザキマリの経歴

  • 出身地:東京都(幼少期は北海道千歳市で過ごす)
  • 生年月日:1967年4月20日
  • 出身校:フィレンツェのイタリア国立フィレンツェ・アカデミア美術学院(美術史と油絵)

ヤマザキマリさんは現在はイタリアで暮らしていらっしゃいます。

おとうさんは小さいころ亡くなられています。そのため、おとうさんの記憶はほどんどありません。

おかあさんはヴィオラ奏者です。

ヤマザキマリさんのおかあさんはヴィオラ奏者として北海道で公演などの活動をされて、オーケストラで演奏していました。

ヴィオラを弾いたり、北海道ヴァイオリンを教えていたそうで、とてもお忙しいおかあさんでした。

そのため家を空けることが多かったといいます。

ご家族で北海道に移住して、幼少期は北海道千歳市で過ごしています。

ヤマザキマリさん自身もヴァイオリンを習っていたのですが、合わなかったようです。

ご本人曰く、「こんなもんやってられるか!」とヴァイオリンを地面に叩きつけてやったと言っていました。笑

無理やりやらされるのが嫌だったのです。

「余白を見つけると本能的に絵を描きたくなる」

ヤマザキマリさんは、小さいころから絵を描くのはとても好きなお子さんでした。

余白を見つけると本能的に絵を描きたくなるほど絵を描くのがお好きです。

新聞のチラシの裏とか余白を見つけるとすぐに絵を描いていました。

でもたまに両面印刷のちらしだったときは裏に余白がないので「ちぇっ!」と思っていたそうです。

スポンサーリンク

兼高かおる世界の旅が大好きだった

ヤマザキマリさんは、「サワコの朝」というテレビ番組にご出演されていました。

そのテレビ番組の中で、ヤマザキマリさんは「兼高かおるさん」についてもお話しされていましたね。

ヤマザキマリさんはこのテレビ番組の中で「兼高かおる世界の旅」が大好きだったとおっしゃっていました。

この番組が楽しみで楽しみでしょうがなかったそうです。

この番組のテーマソングである「八十日間世界一周」という曲が心に残る1曲だということです。

鳥肌が「わーっ」て立つほどこの曲がお好きで、この曲を聞くと興奮してしまうそうです。

世界を旅したいと思った曲です。

今でもヨーロッパでドライブに行くときなんかはこの曲をわざわざかけて、聞いています。

「自分の気持ちはもう兼高かおるさん!」と思っていたそうです。

それくらい、本当にお好きなんですね!本当に憧れていたんですね!

小学校の作文に「兼高かおるさんになりたい」と書いてしまうくらい、兼高かおるさんのことがお好きでした。

⇒⇒⇒兼高かおるが生涯独身を貫いた理由は?世界の旅で150カ国以上!

ヤマザキマリさんは、この世界の旅の番組を小さいころから大好きで4歳くらいのときから見ていたそうです。

小さいころから外国へのあこがれがあったのです。

なぜ外国へのあこがれがあったかというと、「世界の予測のつかなさ。自分が見ている世界の範囲はものすごく限定的なんだなあ」と思っていました。

ヤマザキマリさんが今世界でご活躍されているのには、この番組の影響も大きかったのでしょうね。

スポンサーリンク

テルマエ・ロマエ

ヤマザキマリさんは、なんでも面白いと思える才能があります。

今から2000年前のローマ時代は水道管などの水に関するインフラが進んでいました。

水の供給量が今と変わらないくらいでした。古代ローマは水の文化だったのです。

建物も、古代ローマの時代の建物がいまだに使われているものがあります。

インフラが進んでいたのでお風呂もそれはそれはすごいものがありました。

なぜお風呂をモチーフにした漫画を作ったのか

このテルマエ・ロマエは、お風呂の技術士が主人公です。

ヤマザキマリさんが、ポルトガルに住んでいたときに「昭和の日本の銭湯にローマ人がバシャーと入ってくるシーン」が思い浮かんだそうです。

ヨーロッパでの生活が長かったために、お風呂の湯船に浸かってゆっくりすることができない生活が長かったのです。

日本と古代ローマは全く接点がないようでありながら、お風呂に浸かるという同じ文明があるのでその意外な相似点を描きたかったということです。

ヤマザキマリさんは、それをなんとかいろんな人たちに教えてあげたいと思ってこの漫画を描こうと思ったのですね。

世界各国では、お風呂に価値を見出す民族は日本人くらいです。

今のローマ人はお風呂に浸かる文化はなくて、お風呂の良さをわかっていないそうです。

お風呂に浸かるという文化は、古代ローマの時代で絶えてしまいました。ヤマザキマリさんは、このことについてしゃべりだすと4.5時間かかるといっていました。

スポンサーリンク

古代ローマのお風呂

古代ローマ人たちが駐在していた領地ではお風呂の跡があります。

戦地で「みんな疲れているから、とりあえずお風呂を作ろう」そんな優雅なことがあるのかと思いきや、それは本当の話だそうです。

戦地であっても、どこにいってもまずやることはお風呂を作ること。疲れを癒さなければ次の戦力や次のエネルギーとか活力にはならないという考えからです。

最近世界の人は湯船につかる人もいますが、泡だらけにしたり湯船の中で体を洗う。そのことについて古代ローマ人は「けしからん」というだろう、とヤマザキマリさんは言います。

古代ローマ人は日本人と同じように湯船の外で体を洗う習慣があります。

お湯は神聖な場所、リラックスする場所で、ありとあらゆることをリセットしてそれまで混とんとしてい頭の中を整理整頓してくれます。

古代ローマでは、大事な会議も湯船に浸かりながら「大事な話があるから風呂に来なさい」という状況もありました。

「G8とかの大事な会議もお風呂でやればいいのになと思います。」とヤマザキマリさんは、言っていました。

確かに!それも一理ありますよね。

スポンサーリンク

14歳で海外一人旅!?

ヤマザキマリさんは、14歳のとき一人でヨーロッパへ行っています。

しかも、短期の旅行ではなく1か月もの長期旅行でした。

ヤマザキマリさんは、学校を休んで1か月もの長い間、一人でヨーロッパ旅行に行っていたのです!

おかあさんがヨーロッパにいる演奏家の家に、クリスマスプレゼントを届けに行く予定だったんだけど、行けなくなったので代わりに娘であるヤマザキマリさんが行くことになりました。

結論からいうと、クリスマスプレゼントを届けるという話は、それは単なる口実です。

実際には、画家になりたいといっていた娘に「ルーブル美術館」に行って、実際に絵画を見に行かせたいという親心でした。

おかあさんの本当の意図はルーブル美術館で本物の絵画を見せてそれでも絵描きになりたいか、ということを確かめるためでした。

この旅の目的は「ルーブル美術館」でした。すごいおかあさんですよね!

ヤマザキマリさんはご自身も、振り返ってみて、ご自分のお子さんが14歳のときのことと思い出して「14歳の子に普通一人で海外行かせるか??」と言っていました。

そりゃそうだ。

しかも、1か月もの長い長い一人旅です。しかも、ヨーロッパ旅行です。

普通じゃ考えられませんよね。

絵の道に進みたい

ヤマザキマリさんは14歳のときに進路指導の先生に「絵の道に進みたい」と言ったら、批判されたそうです。「絵で食べていくのは大変だぞ」ということです。

でも、ヤマザキマリさんは、絵で食べていくしかないと自覚し始めていました。

すると、おかあさんが「フランダースの犬」という本を買ってきて、ヤマザキマリさんに読ませました。

ご存知の通り、フランダースの犬はネロとパトラッシュが最期、かわいそうな結末を迎えて死を遂げる物語です。

そして、おかあさんは「ね、絵描きになるとそうなるらしいよ!」と。

要は、絵描きになると悲しい結末を迎えてしまうかもしれないということをおかあさんは伝えたかったのです。

でも、当の本人は「要領が悪い子どもで、こんな寒いところにしがみついているからいけないんだ!」といったら、おかあさんは何も言わなくなったそうです。

なるようになれといったところでしょうか。ほっとけといった感じですね。

ヨーロッパ旅行では、おかあさんのお友達の家を転々としながら、あちこち泊まりながらの旅でした。

行ったのはドイツのケルンとフランスのリオン

ドイツのケルンとフランスのリオンは、ぜんぜん遠くてかけ離れた場所にあります。

ヤマザキマリさんのおかあさんは、「この2つの場所は近いところにある」というニュアンスで言っていました。

なので、ヤマザキマリさんは簡単に行けるかと思っていました。

でもこの二つの場所は例えるならば、変な話「東京に行ったついでに北京に寄って来て!」というくらい違うのです。

このときヤマザキマリさんは、行き方もわからなくてチケットの取り方もわからずに、途方に暮れるという経験を人生で初めてしました。

途方にくれるってこういうことをいうんだなあと思ったそうです。

言葉もわからず中二レベルの英語でした。でも鉄道を使ってなんとか行けました。

ホントに波瀾万丈のです。

阿川佐和子さんが「この方の人生を語るととても30分では収まらない」

とおっしゃっていたくらい、とても内容の濃すぎる人生です。

スポンサーリンク

ブリュッセルで謎のイタリア人の老人と会う

ヤマザキマリさんは、ブリュッセルでその後の人生を大きく左右する出会いをすることになります。

最終目的地であるパリへ向かう列車に乗ろうをブリュッセルでうろうろしていました。

そしたら、ブリュッセルで家出少女のような出で立ちで目をつけられてしまいました。

ヤマザキマリさんが、どこを向いても視野に入るじいさんがいました。右を見ても左を見ても100m移動しても視野に入る。

いきなり「おまえは、家出人だろ!」「今まで、どこどこに行って来たんだ」と。

ヤマザキマリさんは「フランスとドイツ」と答えました。

すると、そのじいさん、「けしからん!!イタリアが入っていないじゃないか!センスのない旅だ」、「今から紙と鉛筆で紙に書け!『全ての道はローマに通ず』」

そういわれてヤマザキマリさんは、『全ての道はローマに通ず』と紙に書いたといいます。

そのじいさんは、イタリア人の陶芸家・マルコさんという人です。「イタリアに行かないとこの度は失敗だ」「日本に戻ったら、おかあさんから手紙をよこせ」

ヤマザキマリさんは日本に帰国して、おかあさんにそのことを伝えました。

その後、おかあさんはそのマルコじいさんに手紙を書きます。

すると、そのマルコじいさんとヤマザキマリさんのおかあさんがなんとメル友になり、文通をずっと長年することになるのです。

この、マルコじいさんとの出会いがヤマザキマリさんにとって大きな意味を持ちます。

スポンサーリンク

17歳でイタリアへ

ヤマザキマリさんは、17歳で高校を中退してイタリアに美術留学に行きました。

これがヤマザキマリさんの漫画家としての原点です。

17歳のときにそのマルコじいさんから、「イタリアに来てアカデミックな美術環境に置いた方がいい、イタリアに来ないか」と誘われました。

すると、おかあさんは、「学校を今途中でやめて、イタリアに行くしかないんじゃない」と言ったそうです。ヤマザキマリさんが高校2年生のことでした。

「今いくしかない。このおじいさんなら信頼できる」おかあさんは、マルコじいさんと会ったこともないのにこういったそうです。

そして、イタリア・フィレンツェの美術学校に行くこととなりました。

最終的にはイタリアに11年もの長い間いることとなりました。

スポンサーリンク

イタリアで詩人と恋に落ちた

ヤマザキマリさんはイタリアにいる間に詩人と恋に落ちてしまいました。そして、お付き合いを始めて、11年間イタリアに住みました。

お相手の詩人は詩集(ポエム)を常に抱えているような人でした。

アルバイトをしながらの生活でしたがとても苦しい生活で、生活していくのがやっとというほどでした。電気ガス水道のライフラインを全部止められてしまうほどでした。

ヤマザキマリさんはなぜそんな貧乏な詩人と11年間も付き合ったのか。

それは、その詩人の教養がすごかったのです。

ヤマザキマリさんにとってのエネルギーの源でした。その詩人は、お金はないけれど、その人の持っている知性とか教養がすごかったのです。当時は、「ごはん」よりも「教養」でした。

そして、11年後、ヤマザキマリさんは、その詩人と結婚はしていなかったものの、その詩人との間に赤ちゃんができます。

この詩人との子どもだから産んだ方がいいだろう。お金はないけれど何とかなるだろうと思ったそうです。

出産と同時にシングルマザーを決断

赤ちゃんが無事に生まれてどうなることかと思いきや、生まれたとたん「別れよう」と決断しました。

その詩人がいるよりも、赤ちゃんを抱えてお金を稼いでいく方がよっぽど楽でした。

詩人がくっついてきて、赤ちゃんを抱えてお金を稼いでいくよりも8割がた楽でした。

苦労を慣らしていくと、ほんのちょっとのことが平気になります。

漫画を描くきっかけは画学校時代のイタリア人の友人からのアドバイス

画学校時代の友人の中に漫画のオタクの子がいました。

ヤマザキマリさんは、本をたくさん読んでいて文章も書いていました。

すると、そのオタクの子が「文章も書いて絵も描いているので、混ぜ合わせると漫画になるのに、なんで漫画書かないの?」と。

ヤマザキマリさんは「そっかー」と思い、その友人の言葉をきっかけに漫画の世界へと足を踏み入れました。

その後、何足もの草鞋を履きながらいろいろなことをしながら生活していました。

スポンサーリンク

14歳年下夫

ヤマザキマリさんは、35歳のときにご結婚されています。

お相手は、なんと!!14歳で出会ったマルコじいさんの孫でした。

まさかそんなことになるとは思ってもいなかったそうです。

旦那さまのお名前は「ベッピーノ」さんといいます。

きっかけは、当時20歳のベッピーノさんと夜通し、古代ローマの皇帝の話をお互いしました。

ベッピーノさんは古代ローマの皇帝の名前を全部言えました。それで古代ローマの皇帝の話が止まらなくなってしまったそうです。

ヤマザキマリさんもローマの話やルネッサンスの話を死ぬほどしたくて、古代ローマの皇帝の話をしたくてしたくてしょうがなかったのですね。

そのような話をする相手がいなかったのですが、ところがベッピーノさんはその話を朝から晩まで、トイレにも行かずにしていたそうです。

もう一つの決め手はヤマザキマリさんのお子さんと仲良くなって、相性が良かったようです。

3人は全員14歳ずつ違うそうです。

すてきな馴れ初めですよね!

スポンサーリンク

まとめ

波瀾万丈の人生を送ってこられたヤマザキマリさん。

古代だからと言って文明が劣っているかというとそうではなくて、逆に古い人たちが来たことによってわたしたちがそこから何か学ぶことがあります。

ヤマザキマリさんは、そのことをずっと勉強してきて古代ローマのインフラがここまで進んでいたのかとか、古代ローマに作られたコンクリートが2000年も耐久年数があるとか、驚愕の日々でした。

いろんなことを表現して伝えたいと思っています。そういった思いもタイムスリップすることによって、運んでこれる。

古代ローマとかいうと、なんだか敷居が高いような感じがして難しいように思いがちです。

ヤマザキマリさんは、みんなの古代史に対する敷居を下げたいという思いがあります。

すばらしいお考えですね!

今後もさらなるご活躍をされることと思います。

ずっと注目していきたいものですね!

この記事を書いている人 - WRITER -
元銀行員・ファイナンシャルプランナーです。 好きなもの 読書/海外旅行/美術館/アート/お花/フラワー/フラワーアレンジ/フラワーボックス/フラワーキャンドル/ハーバリウム/キャンドル/アロマ/猫 ねこ

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Copyright© 元銀行員春華の賢く教養を広げる生活 , 2019 All Rights Reserved.